昨日、雄別で
GW中に、地元の釧路新聞のある記事の目が止まりました。
「雄別炭礦の昔と今 映像で公開」。
現在釧路市内在住で、以前雄別炭礦に暮らしていた藤田清志さん(75歳)という方が雄別炭礦が繁栄していた時代の写真と今の姿を編集してYoutubeにアップしたというもの。
さっそくそのページを覗いてみると前編は、いきなり演歌で意表をつかれますが(笑)、写真で当時の様子を伝えています。
後編
何故僕が雄別炭礦の記事に注目したかというと、実は僕はこの雄別小学校の最後の卒業生だったからです。
閉山のアナウンスは突然でした。1970年の年が明けて、閉山すると告げられ、それを境に15000人住んでいた企業城下町から一斉に人が居なくなりました。
(写真は僕と担任の染谷先生、中々冗談の通じない先生だった(笑))
卒業時に3クラスで120名位いた生徒が、中学入学時には10数名しかおらず、さらにそれから1年ほどして人口がほぼゼロになりました。
僕も5月で釧路市に転校することになり、雄別を後にしました。
その後、何回か雄別を訪れましたが、あの活気のあった町はゴーストタウンというよりは、草木が生い茂り、廃墟となった病院や生協等のコンクリートの建物が、かろうじて街らしきものがあった手がかりを残しています。
ちなみに、この雄別炭礦病院には若かりし頃の作家渡辺淳一が整形外科医として赴任していた時期もあるのです。
僕の家は父が中学校の教師をしていた転勤族だったので雄別炭礦には2年と少ししかいませんでしたが、丁度閉山に立ち会ってしまったのです。
でも多くの人たちは雄別炭礦で生まれ育った人が多く、殆ど跡形もなく消えてしまった故郷への寂しさをずっと抱えたまま生きて行ったのだと思います。
失われた故郷への思いは、いかばかりなのでしょうか。
かつて釧路市から雄別鉄道が走っていてSLの車輛も普通に使われていたのを記憶しています。
街には映画館もあり、地区ごとに生協もあり、全てがワンセットで揃う豊かな小都市だったのです。
繁栄のピークに突然、国や親会社の政策で閉山が決まり、2カ月余りで街から一斉に人が居なくなった。
丁度、大阪万博が開催されていたのを覚えています。
日本中、高度成長の明るい未来が開けていたし、就職先もいくらでもあった時代、雄別っ子は全国に散らばっていった。
そんな歴史があったことを、今日はブログに書きとどめておきます。
極私的な記事でした、悪しからず。
※雄別炭礦は釧路市から内陸へ40kmほど北上した山あいにありました。
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乗山徹
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